彼は歌で泣いたことがなかった。映画やマンガ、あるいはドキュメンタリーでなら泣いたことがある気がするが、これが歌となると記憶のどこを探しても泣いた記憶などないのだった。
彼は別に音楽が特別に好きというわけではなかったから、邦楽以外の音楽に手を出そうとは思っていなかったし、その邦楽も特に詳しくなろうという気概も持っていなかった。彼が耳にする歌は、もっぱらテレビが紹介する流行ものの歌に限られていた。
彼がはじめて歌で泣いたのは、BUMP OF CHICKENのダンデライオンという歌を聴いたときだった。jupiterという3rdアルバムの10 曲目に収録されていたその歌が、はじめて彼を涙ぐませたのだ。
それまで彼はどんな歌を聴いても、心が動かされたことがなかった。彼にとって大事なのは曲調でありリズムであって、歌を聴いたときに心地よさを感じるかというような、漠然とした耳当たりのよさによって歌の価値を決めていた。彼は歌が何を表現しようとしているかということに心惹かれたことはなかった。
何故なら、彼が聴いてきた流行の歌の中で表現されるものに彼は全く同調できなかったからだ。テレビの中で歌手が歌う「愛」や「悲しみ」や「希望」や「絶望」について、彼はどこかうそ臭いものを感じていた。歌手たちは「希望」や「光」といった言葉を口にするが、それでいて彼らが表現しているものが「希望」だとか「光」だとは彼には思えなかった。どんなに歌を聞き込もうと、彼らが表現しているものが、手に取るように自分に伝わっている感触を得たことがなかった。
ダンデライオンを初めて聴いたとき、彼は明るい曲調の歌だと思った。なかなか歌詞を聞き取ることが出来なかったが、アルバムの中ではテンポが早く耳に心地よかったので、彼はよくダンデライオンを聴いていた。そうして何気なく聴き続けていたある日、彼はダンデライオンの歌詞の中に、ライオンの物語らしいものが隠されていることに気づいた。彼は携帯オーディオプレイヤーの中のダンデライオンを聴きながら、歌詞を一つずつ把握していった。
その作業を通して、彼の頭の中に徐々にライオンの物語が浮かび上がっていった。歌の世界に入り込んだような感覚と、物語の場面一つ一つがサウンドと絡み合って展開される感覚、そんな豊かな音楽体験をしたのは初めてのことだった。彼は生まれて初めて歌に同調することが出来た。「夢」だとか「優しさ」だとか、そんな表現が一切されていないこのダンデライオンの中に、彼は確かに「夢」や「優しさ」らしきものを感じ取ることが出来たのだった。そんな初めての体験が彼に涙を流させた。それは彼にとって驚くべき、初めて体験する歌の世界だった。彼は心の底からこの歌の世界に触れたいと思ったし、その結果彼は歌に心を預けて、大いに感情を動かす体験が出来た。
彼は歌詞の中に詩性を感じ取ったのだ。「夢」だとか「希望」だとか、そういう直接的な言葉を使わずとも、「夢」だとか「希望」だとかを表現できることを知った。そういうものを感じ取ろうとし、一つ一つの言葉を味わうことが思わぬ扉を開いてくれることを身をもって知ったのだ。
それから彼は歌を聴くときは、その歌がどういうものを表現しようとしているかについて、以前よりいっそう気をつかえるようになった。彼にとってそれを知ろうとするのは楽しいことになっていた。そうすると不思議なもので、以前は切り捨てていた流行の歌の中にも、キラリと光るような、自分の感性に引っかかってくる「いい歌」を見つけられることが増えてきた。
今は彼はもうダンデライオンを聴いて泣くことはない。ライオンの物語には飽きるほど浸りきったし、やろうと思えばいつでも頭の中にダンデライオンを再生させることが出来るほどだからだ。
それでも彼はこのダンデライオンを聴くたびに思い出さずにはいられない。自分の歌への価値観を変えてしまったあの豊かな体験、自分の中の扉が開いたというはっきりとした感覚、新しい世界に出会ったときのような興奮や驚き、聴けば聴くほど病み付きになってリピートを止められなかった、あの感動の時間のことを、彼は今でも覚えているのだ。
jupiter