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<title>電子館の庭</title>
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<description>考察、考え方、人生、記録</description>
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<title>サザエさん一家のブラックな秘密（笑）</title>
<description> カラクリ青狸、あんこ脳みそなどとともに、わが国の国民的アニメの一角を占めている魚一家の暗部を白日のもとにさらす良エントリー。 今週のサザエさん 2009.6.14放映分 ― 服従するが果たさない 磯野家やマスオさんの見方が変わること間違いなし。人間は笑いや面白さをこういう予想外のものに感じる。硬質な文体でここまでブラックにふざけられてはエントリーを書く以外にない。他のアニメでもやってくれないものか。</description>
<dc:subject>お笑い</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-06-16T03:24:10+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[

　<p>カラクリ青狸、あんこ脳みそなどとともに、わが国の国民的アニメの一角を占めている魚一家の暗部を白日のもとにさらす良エントリー。</p>

　<p><a href="http://d.hatena.ne.jp/matasaburo/20090615/1245029540" target="_blank">今週のサザエさん　2009.6.14放映分 ― 服従するが果たさない</a></p>

　<p>磯野家やマスオさんの見方が変わること間違いなし。人間は笑いや面白さをこういう予想外のものに感じる。硬質な文体でここまでブラックにふざけられてはエントリーを書く以外にない。他のアニメでもやってくれないものか。</p><a name="more"></a>

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<title>ギター初心者も目をむくトミーエマニュエルの生演奏動画</title>
<description> 人を何かに向かわせるものの一つに感動がある。素晴らしい小説や音楽、映画は感動を呼び起こして、それに付属した何かに対して人々を向かわせる。スラムダンクを呼んで感動した人間は、バスケットボールを始めたり、漫画を描こうと挑戦する。 感動を伴わないものは栄えづらい。感動には吸引力があり、多くの人々をひきつけ、その文化を繁栄させる力がある。いま現在栄えている文化の多くは感動に溢れている。スポーツにしても映画にしても、人々を感動させるから栄えるのだ。あなたはディズニーランドを単なる楽し...</description>
<dc:subject>.音楽 演奏動画</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-05-06T23:15:46+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[

　<p>人を何かに向かわせるものの一つに感動がある。素晴らしい小説や音楽、映画は感動を呼び起こして、それに付属した何かに対して人々を向かわせる。スラムダンクを呼んで感動した人間は、バスケットボールを始めたり、漫画を描こうと挑戦する。</p>

　<p>感動を伴わないものは栄えづらい。感動には吸引力があり、多くの人々をひきつけ、その文化を繁栄させる力がある。いま現在栄えている文化の多くは感動に溢れている。スポーツにしても映画にしても、人々を感動させるから栄えるのだ。あなたはディズニーランドを単なる楽しい施設だと捉えるだろうか？　あの施設に、時代や物語や憧憬からくる感動がないなど誰がいえよう。</p>

　<p>感動が伝播して文化が栄えるのだとすれば、わかりやすいエキサイティングなものや触れやすい媒体は有利である。野球やサッカーのわかりやすい熱中度や、映画や漫画の流通は感動を簡単に伝播させ、それぞれに人々を容易に惹きつけるだろう。</p>

　<p>ところがそれらに比べて山登りの感動の、なんと伝播しにくいことか。それは言葉で伝えられるほどわかりやすくもなく、誰もが簡単に触れられるほど手軽なものではない。だが根強い愛好者を誇ることが、山登りの魅力を確かに証明している。</p>

　<p>さて、山登りと同種とまではいかないが、確かに伝播しづらい種類の感動がある。演奏だ。楽器をやったことのない人間にとって、この感動は理解しがたい。私たちは歌に感動することはあっても、演奏のみに感動する機会というのは少ないのだ。クラシックの良さを語れる人間について、語れない人間はまるで理解が出来ない。</p>

　<p>このような音楽未経験の人間にとって嬉しいのは、動画サイトで色々な人間の演奏が見られるようになったことだ。演奏の巧拙などまったくわからない人間でも、同じ曲目を何人かの人間が演奏しているのを比較することで、なんとなくでも「演奏の上手さ」の違いを感じるような気になれるのだ。テレビ番組では稚拙な演奏を聴く機会がないので、そのような違いを感じられない。</p>

　<p>そういう意味でニコニコ動画の「演奏してみた」カテゴリは貴重だ。人気の楽曲についてのアマチュア演奏を一番比較しやすい場所だろう。そういった比較を経ることで、演奏というものに色々な形があり、技術があり、努力があり、奥深さがあることを知ることが出来る。そうして得た知見から判断出来る人間の努力や文化の魅力が、感動を引き起こすこともあるだろう。</p>

　<p>しかしそういった比較を経ずとも、人々を演奏に向かわせることは出来る。それは感動させることだ。感動しづらい「演奏」というジャンルの中から、正真正銘の力を持った感動を叩きつけることだ。問答無用にそのものへの感動を胸に刻み付けてしまうような、そういった体験が必要なのだ。</p>

　<p>トミーエマニュエルの演奏はそういったものの一つだ。</p>

　<p><script type="text/javascript" src="http://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm2382993?w=300&h=225"></script></p>

　<p><script type="text/javascript" src="http://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm210334?w=300&h=225"></script></p>

　<p><script type="text/javascript" src="http://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm5851998?w=300&h=225"></script></p>

　<p><script type="text/javascript" src="http://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm564539?w=300&h=225"></script></p>

　<p>目を見開かせる、惹きつける、熱中させる。そういったことを試みたいのなら、素晴らしいものの魔力を借りることだ。言葉で説明するのではなく、理屈で正しいことを言うのではなく、理屈抜きに心を動かすことが人間をその文化へと走らせるのだ。</p>


<a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
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<item rdf:about="http://fly-low.seesaa.net/article/117212165.html">
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<title>上手くなりたいバスケ初心者が心がけること３つ</title>
<description> あなたがバスケットボールの初心者ならば、アドバイスしてあげられることが３つある。この３つはあなたがバスケットをする目的が何であれ、あなたの上達にとって決して無駄にはならない、かつ重要なアドバイスだ。 １、体力をつけること。 あなたが上達したいのなら練習しなければならない。より上達したいのならよりハードな、より多くの練習量が必要になる。そしてそのハードさと練習量を担保してくれるのは集中力でも運でもない、あなた自身の体の力だ。 まずは何よりも体力を優先させなさい。何よりもだ。体...</description>
<dc:subject>.バスケットボール</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-04-10T10:47:50+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p>あなたがバスケットボールの初心者ならば、アドバイスしてあげられることが３つある。この３つはあなたがバスケットをする目的が何であれ、あなたの上達にとって決して無駄にはならない、かつ重要なアドバイスだ。</p>

　<p>１、体力をつけること。</p>

　<p>あなたが上達したいのなら練習しなければならない。より上達したいのならよりハードな、より多くの練習量が必要になる。そしてそのハードさと練習量を担保してくれるのは集中力でも運でもない、あなた自身の体の力だ。</p>
　<p>まずは何よりも体力を優先させなさい。何よりもだ。体力はあなたの可能性を増大させる。最初に体力を優先させなかったものが、後々後悔する羽目になるだろうことは、彼のその後の成長が証明する。彼は大切なハードワークに自分の体力をそれほど投資できないだろう。結果彼が受け取る利益は、体力づくりをこなしたものより少ないものとなろう。体力は掛け金の総量のことなのだ。</p>

　<p>２、なりたい理想の選手像を見つけること</p>

　<p>あなたがどんな選手になりたいかを見つけることは、あなたの上達にとって避けることの出来ない課題だ。あなたはどんなプレイをする選手になりたいかを自分でイメージできなければいけない。それは現実の選手であっても想像の中の選手であってもいいが、出来ることならより具体性のある現実の選手の方が望ましい。</p>
　<p>イメージが必要な理由は、あなたには志向が必要だからだ。バスケットの練習は漫然とやっていても意味がない。どのようにプレイするかという意識をもたない者は練習の対価である成長を手に入れることは出来ない。例えばあなたがパスの練習をしているとき、あなたが心がけるのは正確さだろうか、スピードだろうか、相手の取りやすさだろうか。あなたがどのようなパッサーになりたいのかという志向が、あなたの意識に働きかけて、まさにそのようなパッサーにあなたを成長させるだろう。その意識がなければ、あなたのやることはパス練習という名の筋肉トレーニングに他ならない。</p>
　<p>どんなプレイをしたいのか、しようとしているのかについて、練習中に常に意識をすることだ。理想の選手像を持つことで、あなたは練習中にそれを意識しやすくなる。</p>

　<p>３、模倣しろ</p>

　<p><a href="http://fly-low.seesaa.net/article/114362225.html" target="_blank">創作初心者のコツ、心得</a>でも書いたが、模倣というのはどんな時でも初心者を助ける。</p>
　<p>優れたものには意図が込められている。優れたプレイヤーの挙措には無駄なところがない。フェイクのかけかた、バランスのとり方、ビジョンをとるタイミングとポジションどり。彼らはその一つ一つに効果的な動作を選択して実践している。プロ野球のピッチャーが何故理想のフォームを探すのかを考えてみることだ。</p>
　<p>あなたは優れていると思うものがあったら、とにかくそれを真似しようとしなければならない。それは恥でもなんでもなく、名プレイヤーの誰もがやってきたことで、あなたが自力で何とかしようと単身努力するよりは遥かに効率のいい近道だ。初心者はこのことを知ってはいるが、強く意識して実践しようとする者は少ない。あなたはビデオカメラを用意して、自分のプレイが他の選手に比べて、どれほどぎこちなく情けなく無駄が多く効果がないかを確認するべきだ。そして鏡の前で繰り返し、よりよい模倣に向けて修正を加えなさい。</p>
　<p>経験者なら誰もがこの方法に高い効果を認める。しかしこれをやる人間は少ない。そのことこそ君が喜ぶべき事実だ。あなたにビデオと鏡と熱意さえあれば、模倣をしない人間を１年足らずで追い抜かすことだって不可能ではない。</p>

　<p>この３つはバスケットボールに限らず、他のスポーツにおいても応用がきく初心者のためのアドバイスだ。専門書や戦術書と睨めっこするのは中級者になってからの楽しみにとっておけばいい。初心者のときの上達は一生忘れられない甘い果実だ。あなたが興奮と喜びに満ちた素晴らしいスタートをきれるように願っている。</p>

<a name="more"></a>

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<title>お笑いの大原則：その１</title>
<description> 後から出てくる人間ではイマイチ笑えないが、初めのメガネの男のだけは別格。絶対に笑ってしまう。 この違いは何だろう。どうして同じ事をしているのに差が出るのか。前振りの有無だろうか、顔が面白いのだろうか、声の調子の差だろうか。考えてみたが、明確にこれだという理由が見当たらない 教訓：人間は理屈があって笑うのではない もちろん笑いに対して理由をつけたり分析したい出来ないわけではない。それとは別の次元で。この教訓というのは「お笑い」について考える上で、いついかなる時も忘れてはいけな...</description>
<dc:subject>お笑い</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-04-09T04:28:28+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[

<p><script type="text/javascript" src="http://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm3536840?w=300&h=225"></script></p>

　<p>後から出てくる人間ではイマイチ笑えないが、初めのメガネの男のだけは別格。絶対に笑ってしまう。</p>

　<p>この違いは何だろう。どうして同じ事をしているのに差が出るのか。前振りの有無だろうか、顔が面白いのだろうか、声の調子の差だろうか。考えてみたが、明確にこれだという理由が見当たらない</p>

　<p>教訓：人間は理屈があって笑うのではない</p>

　<p>もちろん笑いに対して理由をつけたり分析したい出来ないわけではない。それとは別の次元で。この教訓というのは「お笑い」について考える上で、いついかなる時も忘れてはいけない重要な原則だ。当たり前のことではあるが、人間は意識しないと当たり前のことを前提におけないのだ。</p><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
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<title>F君が漫画の擬音から気づいたこと</title>
<description> 関連エントリー：漫画が好きなF君が気づいたこと F君は今まで気がつかなかった漫画の色々な部分を楽しむことにした。見逃しがちな街の遠景だとか、集中線に重なった部分の表現や、登場人物のなんてことない表情や服装を確認していくのは楽しかった。自分が入れ込んでいる大好きな漫画だからなおさらだった。 とりわけF君の興味をひくものがあった。それが擬音だ。よく考えてみると「絵の中に文字が描かれている」というのは不思議なことだった。映画やアニメでは決してそんな表現はされないはずだ。 F君は何...</description>
<dc:subject>漫画</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-03-03T03:15:35+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p>関連エントリー：<a href="http://fly-low.seesaa.net/article/114630788.html" target="_blank">漫画が好きなF君が気づいたこと</a></p>

　<p>F君は今まで気がつかなかった漫画の色々な部分を楽しむことにした。見逃しがちな街の遠景だとか、集中線に重なった部分の表現や、登場人物のなんてことない表情や服装を確認していくのは楽しかった。自分が入れ込んでいる大好きな漫画だからなおさらだった。</p>

　<p>とりわけF君の興味をひくものがあった。それが擬音だ。よく考えてみると「絵の中に文字が描かれている」というのは不思議なことだった。映画やアニメでは決してそんな表現はされないはずだ。</p>

　<p>F君は何故マンガで擬音が使われるのかを考えてみた。簡単なことだと思った。映画やアニメは音も作品の一部だが、漫画では音を読者の耳に提供することが出来ない。その音を埋めるために擬音が採用されているのだ、F君はそう納得した。また、擬音には視覚的な効果があることもF君は確認できた。例えば主人公が硬いモンスターに剣で力いっぱい切りつけるシーンでは、「ガガガガ」という擬音がこれでもかというくらい鋭角に力強く、多少のいびつさを含んで描かれていた。これを柔らかいフォントでやってしまうとコマの迫力が大分無くなってしまってしまうのは素人のF君でもわかった。漫画家は何気ない部分でも色々と計算をしているのだなとF君は得心した。</p>

　<p>F君は何だか面白くなって擬音に注目してマンガを読んでみた。擬音の一つ一つに色々な表現が込められていることにF君は感心し、マンガをますます面白いと感じた。ところがF君はあることに気がついた。もしも一つ一つのコマから擬音を抜き取ってしまったら、言いようもない変な感じがページに生まれてしまうということだ。どうしてだろうとF君はその変な感じの正体を考えてみた。「音」がないからだろうか。それともページが殺風景になって変な感じになったのだろうか。</p>

　<p>F君は一つのコマを見ながら考えてみた。そのコマと、仮に擬音が描かれなかったときのそのコマを想像して、どうして変な感じが生まれるのかを考えた。そしてF君にはだんだんとわかってきた。</p>

　<p>F君はまず擬音が「動き」を生むことに気づいた。さっきの剣の擬音だって、「ガガガガ」がなければ主人公が剣をモンスターにただ近づけているだけに見えてしまう。そこに「ガガガガ」を描くことによって、剣がモンスターに「当たって削っている」感じが出るのだ。読者は「主人公が剣を振るった」という事実を、スムーズに受け入れて次のコマに進むことが出来る。</p>

　<p>今までF君は、読者がそういった動きを具体的に感じさせているのはコマとコマの間だと思っていた。人間は違った２枚の絵の中に関連した要素を見つけると、脳が勝手に動きや物語を描いてくれるという。漫画とはそういう「コマとコマの間」の想像力を利用したものだと思っていたF君にとって、１つのコマでも「動いた感じ」を大きく表現できることをすごいと思った。</p>

　<p>更にF君は考えて考えて、一つのとても面白い発見をした。動きを生んでいるということは、「時間」を生んでいるということだと気づいたのだ。</p>

　<p>例えば主人公対モンスターの一コマ一コマが、擬音や効果線のない写実的な表現で描かれていたら、コマとコマの間に何が起こったのかを把握しづらいと思った。確かに想像力を働かせたりコマをよく見ることで、何が起こったかを把握出来なくもないだろうが、それはあやふやなものになるだろうし労力がいる。そこで一コマ一コマに擬音や効果線をいれればどうなるだろうか。そうするとコマに動きが出るのだ。コマの中でキャラクターたちがどういう動きをしているかが把握しやすくなる。マンガの中に時間が生まれる。まるでアニメを見ているみたいに――。</p>

　<p>そう考えた時、F君ははっとした。</p>

　<p>そうだ、作者はマンガの中に時間を生んでいるんだ。擬音や効果線を最大限に使って、アニメや映画と違う「絵」であることに抗うように、マンガに時間を吹き込んでいるんだ。</p>

　<p>そしてF君はまた気づく。セリフもまた時間を作り出しているのではないかと。そうだ、セリフだって時間を作り出せる。キャラクターがセリフを喋っているのを読者が読み取るとき、必ず何秒間かはそのコマの時間を感じるはずだ。まさに実際に喋っている感じがするはずだ。そうだ、セリフだけじゃない。擬音も同じだ。擬音が作り出しているのは「動き」という視覚的なものだけじゃない。「ガガガガ」という単調な音でさえ「ただの絵」よりも長い時間を表現できているのだ。</p>

　<p>F君は自分がかつて夢中になったアクション漫画を本棚から取り出して読み始めた。槍を持った少年が狐の妖怪と戦う話だった。F君は驚いた。「セリフも擬音もないコマ」がほとんどないのだ。ほとんどのコマには必ず時間を感じることが出来るように、セリフか擬音があった。その傾向はアクションシーンであればあるほど顕著だった。</p>

　<p>漫画を「絵」だと考えるのなら、擬音もセリフも必ず描かれなければならないものではない。にも関わらずほとんどのコマにそれがあるということは、これは偶然でもなんでもなく作者が意図的にやっていることだとF君は思った。作者は物語を理解しやすいように、また少しでも現実らしく表現するために漫画に時間を吹き込んでいるのだ</p>

　<p>漫画好きな自分が大好きだったマンガに、こんな風に時間を生み出すような工夫がされていたなんてF君は今までちっとも気づけなかった。それだけにF君はいま自分がそういう発見をしたことに驚きと喜びを覚えたし、マンガの奥深さをまたちょっとだけ知れたような気がしたのだった。</p>

<a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://fly-low.seesaa.net/article/115007819.html">
<link>http://fly-low.seesaa.net/article/115007819.html</link>
<title>プレゼントは同意でどうですか？</title>
<description> 生きている意味が圧倒的にわからない 君がこう言ってくれてとても嬉しい。何故なら、君は僕と同じ事を考えてくれたからだ。そして同じ気持ちを抱いている人間がいるという事実は、僕の漠然とした不安を和らげてくれるからだ。 君の考えに対して述べられた感想の数々について、君はどう思っているだろうか。もし僕が君だったら、とても満足などできはしないと思う。 例えば「思考が空回りしすぎ。意味がないと考える事にだって意味がないじゃん」や「こういう人は高層ビルから落とされそうになったり銃を向けられ...</description>
<dc:subject>.子供への言葉</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-03-02T00:14:59+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p><a href="http://anond.hatelabo.jp/20090301034255" target="_blank">生きている意味が圧倒的にわからない</a></p>

　<p>君がこう言ってくれてとても嬉しい。何故なら、君は僕と同じ事を考えてくれたからだ。そして同じ気持ちを抱いている人間がいるという事実は、僕の漠然とした不安を和らげてくれるからだ。</p>

　<p>君の考えに対して述べられた感想の数々について、君はどう思っているだろうか。もし僕が君だったら、とても満足などできはしないと思う。</p>

　<p>例えば「<span style="color:#0000FF;">思考が空回りしすぎ。意味がないと考える事にだって意味がないじゃん</span>」や「<span style="color:#0000FF;">こういう人は高層ビルから落とされそうになったり銃を向けられたりしたら命乞い始めるんだろうなあ</span>」という発言の中に、僕は強烈な無理解を感じてしまうだろう。自分の感覚が全く共有されないというのは残酷で悲しいことだ（そしてちょっぴり怖いことだ）。こういう発言をする人は、自分と同じ気持ちになったことなど一度もないのだろうな、と思うだろう。同じ気持ちを理解できる人だったらこんな発言はまるっきり的はずれだ思うから。</p>

　<p>上みたいな明らかに僕の感覚と断絶している発言以外にも、僕は寂しさを感じるだろう。「<span style="color:#0000FF;">そんなことを考えても目の前の問題は何も解決しない」というのが答え。</span>」だとか、「<span style="color:#0000FF;">生きる価値を見出せればいいんだ！</span>」だとか、「<span style="color:#0000FF;">「有限」の外側より、内側への思弁を充実させましょうよ。</span>」というようなアドバイスらしきものは、僕の気持ちを動かすに足りない言葉だ。これらは教師が生徒に放つような、問題解決や自己啓発的な言葉は、こちらの感情を理解しているようで、その実なにも有効なことは言っていない。彼らが言っているのは「こう生きればいいんだよ」という彼らにとって正しい指針なのだけれど、そもそもこちらはそれが正しいのかもわからない、確かめようもない、確かめる方法もわからないのだ。そんな言葉をもらったって、どうしようもないものね。</p>

　<p>僕ら人間は小さなころから世界を徐々に把握していくのだけれど、その過程は混乱していて当たり前なんだ。何もかも不確かで意味がわからないのが人生なんだから。その混乱をなんとかするために、人間はこの世界を「どう見ていくか」という視点を手に入れる。「幸せになるために生まれてきた」とか「楽しみを第一に生きる」というのが視点だ。でもそういう視点に本来「正しさ」はない。視点というのは混乱に対する有効な対症薬ではあるけど、「本当に？」という疑いにはとんでもなく弱いんだ。</p>

　<p>そうだ、僕らは「本当に？」と思った瞬間から、否応もない混乱の中に戻されてしまう。どうすれば正しいのか、どうすれば幸せなのか、どうやって生きていけばいいのか。誰も「正しい」答えを手に入れられない問題の前で疑い続けるっていうのは、とてもとても苦しくて不幸なことだ。信じるもののない、疑ってばかりの人間は限りなく不幸なんだ。</p>

　<p>僕がもし君にアドバイスするとしたら「<span style="color:#0000FF;">人は豊かな人生を楽しむために生まれ、死んでいく。たったそれだけ。頭でっかちな奴はこんな簡単な事すら分からなくなって人生を毀損する。</span>」という言葉から学んで欲しいと言うだろう。こんなに僕たちの気持ちからかけ離れた言葉から何を学ぶのだと君は不思議がるかもしれない。でも確かなのは、不思議だなぁと考え続けている君よりも、こんな風に「これはこういうことだ」という考えを持っている人間の方が、はるかに幸福だろうということだ。視点を疑わないことは幸せなのだ。僕は君に、心から信じられる視点を持ってほしい。自分の考えを露ほども疑わない視点を持って欲しい。</p>

　<p>「でももう疑ってしまっている、自分はどうすれば心から信じられるようになるのか」と君は言うかもしれない。「<span style="color:#0000FF;">圧倒的な無意味の中でどうやって生きていけばいいんだ？　どうすれば、自分の人生が価値あるものだと思えるんだ？</span>」と。そうすれば僕は、正しさの根拠を君の感情の中に求めたらいいと思うと言うだろう。僕の大切な人が死にそうになったら、それがどんなに社会的に生物的に化学的に物理的に正しい現象であろうとも、僕は出来るかぎり抗う。僕はその抗うことに疑問を持たない。道徳だとか愛だとかは関係ない。そんな外からの評価は知ったことじゃない。それがどんなにどんなに無意味な抵抗だとしても、僕は抗いたいから抗うだろう。嫌だから。僕はそうやって抗うことで満足し、自分の人生に価値を見出すと思う。この疑えてしまうことだらけの人生で、僕が実際に感じている感情だけが、疑いようもなく本物だから。そうだ、君を作っているのは世界でも意味でも正しさでもなく、君の感情なんだ。</p>

　<p>ひょっとしたら僕のこのアドバイスもまったく的外れなものかもしれない。君の考えに対して的外れなことしか言えていないかもしれない。でも君の言いたいことを最大限汲み取って、一生懸命に話をしたつもりだから許して欲しい。</p>

　<p>こんなに偉そうに話しておいて悪いけど、僕の考えがいいものかはわからない。でも僕らにとっての救いは「<span style="color:#0000FF;">とてもキモチはわかる。同じ事考えるよ。 // ただ、だからこそ人生（無に戻るまでの猶予）という時間を楽しむべき、なんだろうなというのはある。よく迷路にはまりこむけどね。</span>」という同意の言葉なんじゃないかと思う。こういう言葉が、君が、そして僕が疑問の渦に落ちていくのを止めてくれる言葉なのだと思うのだ。</p>

　<p>僕は心から君に同意する。この同意が君にとって嬉しいものだったら、僕も本当に嬉しい。わかんないよね、ホントに不思議だよね、生きているって。すごいもんだね。</p><a name="more"></a>

]]><![CDATA[
]]></content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://fly-low.seesaa.net/article/114657754.html">
<link>http://fly-low.seesaa.net/article/114657754.html</link>
<title>おじいちゃんとおばあちゃんの家に行くときに</title>
<description> おじいちゃんおばあちゃんと一緒にいるときに君が心がけることは３つだ。 １、迷惑をかけないこと２、たくさん甘えること３、とても喜んでお礼を言うこと １、迷惑をかけないこと迷惑をかけないことというのは、君に必ず守って欲しいことだ。というのも、いくら君が可愛い存在だからといって、君のやることなすこと全てに対して、おじいちゃんやおばあちゃんが可愛いと思うとは限らないからだ。例えばおじいちゃんが畑仕事か何かでとてもくたびれている時に、君がおじいちゃんのご飯を全部食べてしまったら、おじ...</description>
<dc:subject>.子供への言葉</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-02-22T22:32:02+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p>おじいちゃんおばあちゃんと一緒にいるときに君が心がけることは３つだ。</p>

　<p>１、迷惑をかけないこと</p>
<p>２、たくさん甘えること</p>
<p>３、とても喜んでお礼を言うこと</p>



　<p><strong>１、迷惑をかけないこと</strong></p>
<p>迷惑をかけないことというのは、君に必ず守って欲しいことだ。というのも、いくら君が可愛い存在だからといって、君のやることなすこと全てに対して、おじいちゃんやおばあちゃんが可愛いと思うとは限らないからだ。例えばおじいちゃんが畑仕事か何かでとてもくたびれている時に、君がおじいちゃんのご飯を全部食べてしまったら、おじいちゃんは元気が出なくて困ることはわかるね？　おじいちゃんはそういうとき、君のことを可愛いと思うのとは別に、嫌だなぁ困ったなぁと思うものなんだ。決して君のことを可愛くないと思うわけではないんだけど、それでもおじいちゃんが困っちゃうことはあるわけだ。</p>
<p>こういう風におじいちゃんおばあちゃんを困らせないことを「迷惑をかけない」というんだ。でも君はまだまだ生まれたばかりで、わからないことが多いだろう。何が迷惑で何が迷惑じゃないか、わからないかもしれない。だから、何かが欲しくなったりしたら、おじいちゃんとおばあちゃんの目を見てお願いしてみるんだ。よーく、見るんだよ。大抵のことはおじいちゃんもおばあちゃんも君にしてくれる。君のことがとっても可愛いからね。でもそんなおじいちゃんとおばあちゃんが、ちょっとでも困った顔をしたら、それは本当はよっぽど困ったことなんだ。それはやめてあげなきゃいけないよ。それはみんなが幸せに暮らすための一番のルールなんだ。</p>

　<p><strong>２、たくさん甘えること</strong></p>
<p>迷惑をかけるな、なんて言われて君はちょっと難しいと思ってるかもしれない。でもそんなに難しく考えることはないよ。お願いをするときは目を見ること、それさえ守れば大丈夫だよ。</p>
<p>それより、もっと君には重要な使命がある。君は迷惑をかけないためにおじいちゃんおばあちゃんに接するわけじゃない。おじいちゃんとおばあちゃんは「迷惑がかからない範囲」で、君にたっぷり甘えて欲しいと思っているんだ。これは本当のことだ。おじいちゃんとおばあちゃんは君に何かをしてあげるのが嬉しくて仕方がない。君のことが大好きだからだ。君はどんどんお願いをしていいんだ。もしかしたら迷惑なのかな、なんて思って、お願い事を言わないのはダメだよ。おじいちゃんとおばあちゃんは君にたくさんお願いごとをしてほしいと思っているし、出来るだけそれを叶えてあげたいと思ってる。そうすることで、おじいちゃんとおばあちゃんはとってもとっても幸せな気持ちになれるんだ。この幸せは地球上にたくさんたくさんいる大人たちが、一番欲しいと思っている気持ちだ。君はそれをおじいちゃんとおばあちゃんにプレゼントする機会がある。君がおじいちゃんとおばあちゃんに甘えるということは、とっても偉くてスゴイことなんだ。</p>

　<p><strong>３、とても喜んでお礼を言うこと</strong></p>
<p>甘えた後は必ずこれをしなきゃいけないよ。喜んで見せることとお礼を言うことは絶対に欠かさないで欲しいんだ。ひょっとしたらこれが一番難しいことかもしれない。でも本当ならこれが一番君にやってほしいことだ。</p>
<p>君がお母さんに誕生日の花をあげたり、昼寝中のお父さんに毛布をかけてあげたりしたら、ありがとうと言って頭を撫でてほしくないかい？　もし撫でてもらったら、ありがとうと笑ってもらったら、君の喜びはものすごいことになるだろう？　胸の中が気持ちいい感じでいっぱいになるだろう？　そういうことをおじいちゃんとばあちゃんにしてほしいんだ。喜んでみせること、お礼を言うことで、とてもとてもスゴイ魔法を相手にかけることが出来るんだ。</p>
<p>だから君には迷惑をかけない範囲でたくさんたくさんおじいちゃんとおばあちゃんに甘えて欲しい。そしてたくさん願い事をかなえてもらって、その度に喜びと感謝を伝えて欲しい。ありがとうって言って欲しい。それはどんなにお金を積んでも出来ないプレゼントなんだ。多くの人が誰かにあげたいと望んでも、知恵を絞って頑張っても、なかなかあげられないプレゼントなんだ。お願いだからおじいちゃんとおばあちゃんに、そのプレゼントをたくさんあげてほしい。</p>

　<p>まだ君はちいさくて実感が湧かないかもしれない。でもこの３つを守って欲しい。この３つを心がけて欲しい。もしこの３つを忘れちゃったら、いつでも教えてあげるから戻っておいで。これは何回だって君に教える価値がある、とっても大事な３つのルールなんだ。</p>


<a name="more"></a>

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<title>漫画が好きなＦ君が気づいたこと</title>
<description> 漫画が好きな人は多い。小説や映画に比べてその地位にまだまだ社会的な偏見があるという点は「いい大人が電車で漫画なんて読んで」というような小言がはなたれやすいことからわかるが、それにしたって漫画を好きな人はとても多いはずだ。 Ｆ君は漫画が好きだ。マニアというほどではないが、好きな漫画はコミック発売まで待たずに毎回チェックする。少年とヤングのジャンプ・少年とヤングと月間のマガジン・少年とヤングのサンデー・モーニング・スピリッツあたりのお気に入りの漫画は欠かさずに見ている。過去の人...</description>
<dc:subject>漫画</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-02-22T12:02:13+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p>漫画が好きな人は多い。小説や映画に比べてその地位にまだまだ社会的な偏見があるという点は「いい大人が電車で漫画なんて読んで」というような小言がはなたれやすいことからわかるが、それにしたって漫画を好きな人はとても多いはずだ。</p>

　<p>Ｆ君は漫画が好きだ。マニアというほどではないが、好きな漫画はコミック発売まで待たずに毎回チェックする。少年とヤングのジャンプ・少年とヤングと月間のマガジン・少年とヤングのサンデー・モーニング・スピリッツあたりのお気に入りの漫画は欠かさずに見ている。過去の人気作品は一通りチェックしてきたし、同年代と漫画の話になったときも、置いていかれたことは一度もない。Ｆ君は漫画が好きだし、自室の本棚には売るに売れない大好きな作品がみっしりと並んでいる。</p>

　<p>ところがある日、Ｆ君は漫画についてちょっと困った体験をした。自分のブログのネタに困って、Ｆ君は漫画について何かエントリーを書こうと思いついた。自分の好きなことだったらさくさく書けると思ったのだ。しかしＦ君は書けなかった。何故ならＦ君が何か漫画について書こうと思っても、考えつくのは「昔読んだこの漫画が面白かった」とか「この漫画のこのシーンやセリフが好きだ」という感想しかなかったからだ。Ｆ君は出来ることなら読んでくれる人に楽しんでもらえるような記事を書きたかった。しかし「自分はこの漫画が好きだ」という感情の表明だけでは、どうにも面白くない記事な気がした。</p>

　<p>Ｆ君は色々考えて、なんとか漫画についての面白そうな記事を書けないかと悩んだ。けれどなかなか思い浮かばない。それも当然のことだった。Ｆ君は漫画を書こうとしたこともないし、漫画について学ぼうとか、漫画というものは何かについて考察したことがなかったのだ。Ｆ君は漫画が好きだったが、ただ好きであるということと何かを語れるということはまるで別物なのだ。</p>

　<p>Ｆ君は何とかして漫画について語るにはどうしたらいいだろうかと悩んだ。そこでＦ君は自分が漫画についてどういう接触をしてきたかを振り返ってみる。Ｆ君の漫画の読み方には特徴があった。それは早さだ。Ｆ君の漫画を読むスピードは友人たちと比べて早いほうで、１冊あたり10分か15分で読みきってしまう。この友人たちと自分の違いについてＦ君は考える。</p>

　<p>漫画を読みなれているから早いのかもしれないとＦ君は考える。確かにそれはあるかもしれない。しかし友人たちとて漫画には慣れ親しんでいるはずで、自分だけ極端に早いのは変だ。ではなんだろう、Ｆ君は考える。考える中でＦ君は思い至る。それは単純な答えだった。友人たちが見ているものをＦ君は見ていない、だから早いのだ、受け取る情報量が少ないから、Ｆ君の読むスピードは早いのだ。その情報とは絵だ。Ｆ君は理解した。自分の漫画の読み方は、飛ばし読みに近いのではないか。</p>

　<p>Ｆ君は本棚から漫画を取り出して、読みなれたはずのその名作をもう一度読むことにした。ただし今度は丁寧に、一つ一つのコマに注意を払って読んで。そこでＦ君は驚きを覚えた。このコマはこんな表現がされていたのかだとか、このコマは記憶にないだとか、この人物の表情はこうなっていたのかとか、そういった<strong>発見</strong>がものすごく多かったのだ。Ｆ君は今まで自分が読んでいたのはなんだったのかと考えた。</p>

　<p>それは物語だと気がついた。あらすじだと気がついた。セリフなのだと気がついた。Ｆ君は「絵」に余りにも注意を払ってこなかった自分に気がついた。当然のことだが、漫画は「絵」なのだ。しかし絵に注意を払わなくても読め、理解できてしまうのも漫画なのだと気がついた。</p>

　<p>Ｆ君が誰かと漫画の話をするときに交わされる会話は、「どのシーンが盛り上がっていて面白かった」とか、「どのセリフがよかった、カッコよかった」とか、「あのラストには驚かされた」というようなもので、それは「絵」についての会話ではなかった。それは小説でも映画でもアニメを語るときにも通用する、「物語」や「セリフ」についての話題だった。そこには漫画というジャンルについての視点がなかった。Ｆ君は自分が漫画について何も語れないワケを知った。漫画の最大の特徴である「絵」を見ていなかったのだ。そんなことでは何も語れるわけがなかった。</p>

　<p>ところで、Ｆ君はこのことを発見することで、驚きと一緒に大きな喜びも得ることが出来た。というのも本棚を見渡すと自分を魅了した名作の数々があったからだ。この多くの本の中に、自分が見ていなかった数々の驚きや発見があるのだと思うとＦ君は嬉しくなった。そうしてＦ君はいっそう大きな喜びとともに、漫画をより注意深く読み始めたのだった。</p>

　<p>関連エントリー：<a href="http://fly-low.seesaa.net/article/115063171.html" target="_blank">F君が漫画の擬音から気づいたこと</a></p>
<a name="more"></a>

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<title>笑い飯のマリリンモンローのネタを動画で見返してみて</title>
<description> 笑い飯が好きだ。伝説の「奈良県立歴史民俗博物館のネタ」で大笑いさせられてからファンになった。そういう人は多いだろうとも思う。 奈良歴史民族博物館のネタを見てくれればわかると思うが、彼らは文句なしに面白い。無理やり笑わされてしまう。他の多くの芸人と比べても、図抜けた面白さを持っていると思う。この笑い飯がＭ－１グランプリでいまだ優勝出来ていないというのは、審査員の妙や色々な要素が絡んだ結果だとは思うが、それでも不運だなというか、ちょっと残念な気持ちにさせられる。 笑い飯のことを...</description>
<dc:subject>お笑い</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-02-19T20:46:47+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p>笑い飯が好きだ。伝説の「<a href="http://www.youtube.com/watch?v=E7Mo_wHGNJ0&feature=related" target="_blank">奈良県立歴史民俗博物館のネタ</a>」で大笑いさせられてからファンになった。そういう人は多いだろうとも思う。</p>

　<p>奈良歴史民族博物館のネタを見てくれればわかると思うが、彼らは文句なしに面白い。無理やり笑わされてしまう。他の多くの芸人と比べても、図抜けた面白さを持っていると思う。この笑い飯がＭ－１グランプリでいまだ優勝出来ていないというのは、審査員の妙や色々な要素が絡んだ結果だとは思うが、それでも不運だなというか、ちょっと残念な気持ちにさせられる。</p>

　<p>笑い飯のことを話すとき、「最近勢いが落ちてきたよね」という人がいる。意外にもそういう人は多くて、「ピークは過ぎたんじゃないか」という意見が大勢を占めたりもする。あの博物館のネタのときに優勝していればなぁ、なんていう人もいる。この意見はなんとなく正しい気がする。というのも、あまりテレビで彼らを見る機会はないし、もし見かけたとしてもあの博物館のネタほど笑った記憶はないからだ。それはＭ－１も含めた話で、毎年Ｍ－１だけは欠かさずに見るのだが、博物館のネタをピークに彼らの面白さが落ちているような気がする。彼らは本当に勢いを失ったのではないかと思う人がいても不思議ではないだろう。</p>

　<p>ところがyoutubeやニコニコ動画で過去のネタを見返してみると、思っていたよりも面白い。いや、実際にテレビで見たときに感じた面白さより、はるかに面白い漫才をしているように感じる。</p>

　<p>特に「<a href="http://www.youtube.com/watch?v=hBffCpB2B6Y&feature=related" target="_blank">マリリンモンローのネタ</a>」の面白さは半端じゃない。このネタを2005年の最終決戦で見たときは、面白いなとは思ったものの爆笑したりはしなかった。こんなネタを大一番に持ってくるなんてやっぱり笑い飯はアホだなと思ったが、優勝は決まりだなと思わされるくらいの強いインパクトはなかった。だが見直してみてこんなに面白いネタはないと思わされた。</p>

　<p>まずはじめの入り口がもう面白い。ハッピーバースデイのタイミングが合わないという悩みをもってくること自体が馬鹿馬鹿しすぎる。その後のボケもタイミングを一拍ずらすとか音階を上げるとか前奏を入れるとか、くだらなくて仕方ないかけあいをよくも最終決戦でやろうと決心できるものだ。このあたりのやり取りは、実際にテレビで見ていたときは「滑っている」とか「この流れはまずい気がする」というようなネガティブな印象を抱いた気がするが、どうしてどうしていま見返すと面白い。</p>

　<p>この馬鹿馬鹿しいボケの流れの中で２人のツッコミも光っている。中でも「何さき言うたみたいな言い方で言うとんねんアホ」と「お前、本番どうなっとんねん」は、一連のやり取りを文字に起こしても笑えてしまうくらい面白い。</p>

　<p>日本中が注目している中でこのふざけ漫才はマリリンモンローのモノマネをやりはじめる。この辺りの最後の流れは実際に見てみて大いに笑ってほしいと思うが、こんな大舞台で2人が一緒になってとことんバカなボケをやれるようなコンビは笑い飯以外にいないと思う。客が心底「こいつら馬鹿だなぁ」と思えるような、そんな漫才を真剣にやっている笑い飯が好きだ。</p>

　<p>不思議なのは、見返さなければこのネタの面白さに気づくことはなかったということだ。こういう事実を目の前にすると、ふだん自分が感じているものの不確かさというものを意識させられて、本当は面白いものを無意識に切り捨てているのかもしれないと思う。</p>

　<p>しかし、それにしても笑い飯は本当に面白い。勢いが落ちているという周りの評判などものともせずにに。これからも笑わせ続けて欲しいと思うし、これから更に活躍して、ピークは過ぎたなんて評価を払拭してくれるだろうと思っている。</p>
<a name="more"></a>

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<title>彼はダンデライオン（BUMP OF CHICKEN）の歌詞で泣いた</title>
<description> 彼は歌で泣いたことがなかった。映画やマンガ、あるいはドキュメンタリーでなら泣いたことがある気がするが、これが歌となると記憶のどこを探しても泣いた記憶などないのだった。 彼は別に音楽が特別に好きというわけではなかったから、邦楽以外の音楽に手を出そうとは思っていなかったし、その邦楽も特に詳しくなろうという気概も持っていなかった。彼が耳にする歌は、もっぱらテレビが紹介する流行ものの歌に限られていた。 彼がはじめて歌で泣いたのは、BUMP OF CHICKENのダンデライオンという...</description>
<dc:subject>.音楽 BUMP OF CHICKEN</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-02-18T22:16:44+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p>彼は歌で泣いたことがなかった。映画やマンガ、あるいはドキュメンタリーでなら泣いたことがある気がするが、これが歌となると記憶のどこを探しても泣いた記憶などないのだった。</p>

　<p>彼は別に音楽が特別に好きというわけではなかったから、邦楽以外の音楽に手を出そうとは思っていなかったし、その邦楽も特に詳しくなろうという気概も持っていなかった。彼が耳にする歌は、もっぱらテレビが紹介する流行ものの歌に限られていた。</p>

　<p>彼がはじめて歌で泣いたのは、BUMP OF CHICKENのダンデライオンという歌を聴いたときだった。jupiterという3rdアルバムの10
曲目に収録されていたその歌が、はじめて彼を涙ぐませたのだ。</p>

　<p>それまで彼はどんな歌を聴いても、心が動かされたことがなかった。彼にとって大事なのは曲調でありリズムであって、歌を聴いたときに心地よさを感じるかというような、漠然とした耳当たりのよさによって歌の価値を決めていた。彼は歌が何を表現しようとしているかということに心惹かれたことはなかった。</p>

　<p>何故なら、彼が聴いてきた流行の歌の中で表現されるものに彼は全く同調できなかったからだ。テレビの中で歌手が歌う「愛」や「悲しみ」や「希望」や「絶望」について、彼はどこかうそ臭いものを感じていた。歌手たちは「希望」や「光」といった言葉を口にするが、それでいて彼らが表現しているものが「希望」だとか「光」だとは彼には思えなかった。どんなに歌を聞き込もうと、彼らが表現しているものが、手に取るように自分に伝わっている感触を得たことがなかった。</p>

　<p><a href="http://www.youtube.com/watch?v=3d3p4LYxPmg&feature=related" target="_blank">ダンデライオン(youtube)</a>
　<a href="http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND15375/index.html" target="_blank">ダンデライオンの歌詞</a></p>

　<p>ダンデライオンを初めて聴いたとき、彼は明るい曲調の歌だと思った。なかなか歌詞を聞き取ることが出来なかったが、アルバムの中ではテンポが早く耳に心地よかったので、彼はよくダンデライオンを聴いていた。そうして何気なく聴き続けていたある日、彼はダンデライオンの歌詞の中に、ライオンの物語らしいものが隠されていることに気づいた。彼は携帯オーディオプレイヤーの中のダンデライオンを聴きながら、歌詞を一つずつ把握していった。</p>

　<p>その作業を通して、彼の頭の中に徐々にライオンの物語が浮かび上がっていった。歌の世界に入り込んだような感覚と、物語の場面一つ一つがサウンドと絡み合って展開される感覚、そんな豊かな音楽体験をしたのは初めてのことだった。彼は生まれて初めて歌に同調することが出来た。「夢」だとか「優しさ」だとか、そんな表現が一切されていないこのダンデライオンの中に、彼は確かに「夢」や「優しさ」らしきものを感じ取ることが出来たのだった。そんな初めての体験が彼に涙を流させた。それは彼にとって驚くべき、初めて体験する歌の世界だった。彼は心の底からこの歌の世界に触れたいと思ったし、その結果彼は歌に心を預けて、大いに感情を動かす体験が出来た。</p>

　<p>彼は歌詞の中に詩性を感じ取ったのだ。「夢」だとか「希望」だとか、そういう直接的な言葉を使わずとも、「夢」だとか「希望」だとかを表現できることを知った。そういうものを感じ取ろうとし、一つ一つの言葉を味わうことが思わぬ扉を開いてくれることを身をもって知ったのだ。</p>

　<p>それから彼は歌を聴くときは、その歌がどういうものを表現しようとしているかについて、以前よりいっそう気をつかえるようになった。彼にとってそれを知ろうとするのは楽しいことになっていた。そうすると不思議なもので、以前は切り捨てていた流行の歌の中にも、キラリと光るような、自分の感性に引っかかってくる「いい歌」を見つけられることが増えてきた。</p>

　<p>今は彼はもうダンデライオンを聴いて泣くことはない。ライオンの物語には飽きるほど浸りきったし、やろうと思えばいつでも頭の中にダンデライオンを再生させることが出来るほどだからだ。</p>

　<p>それでも彼はこのダンデライオンを聴くたびに思い出さずにはいられない。自分の歌への価値観を変えてしまったあの豊かな体験、自分の中の扉が開いたというはっきりとした感覚、新しい世界に出会ったときのような興奮や驚き、聴けば聴くほど病み付きになってリピートを止められなかった、あの感動の時間のことを、彼は今でも覚えているのだ。</p>

<a href="http://amazon.co.jp/o/ASIN/B00005V4Z6/chapoace1-22/ref=nosim" target="_blank"><img src="http://images.amazon.com/images/P/B00005V4Z6.09._PC_OU09_SCTZZZZZZZ_.jpg" alt=""></a>
<p>jupiter</p><a name="more"></a>

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<title>小学生のはじめての読書におすすめな十五少年漂流記</title>
<description> 小学生のとき、はじめて小説らしい小説を買い与えてもらったのがジュール・ベルヌの十五少年漂流記だった。初めは活字の面白さに気がつけなかったが、風邪をひいて寝込んだときだとか、長時間電車に乗るときなど、折に触れて何度も読み返すうちに読書の魅力に気づくことが出来た。 読書の面白さに気がつくか気がつかないかが、その後の人生の読書量を決定付けることを思えば幸運なことだと思う。そして今思い返すと小学生が初めに与えられる本としては、実に上等なチョイスをしてもらったのだということに気がつい...</description>
<dc:subject>読書</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-02-17T21:00:39+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p>小学生のとき、はじめて小説らしい小説を買い与えてもらったのがジュール・ベルヌの十五少年漂流記だった。初めは活字の面白さに気がつけなかったが、風邪をひいて寝込んだときだとか、長時間電車に乗るときなど、折に触れて何度も読み返すうちに読書の魅力に気づくことが出来た。</p>

　<p>読書の面白さに気がつくか気がつかないかが、その後の人生の読書量を決定付けることを思えば幸運なことだと思う。そして今思い返すと小学生が初めに与えられる本としては、実に上等なチョイスをしてもらったのだということに気がついた。この十五少年漂流記は小学生くらいの子供が読書に親しみはじめるのに最適な要素をいくつも兼ね備えているのだ。</p>

　<p>１つは登場人物がみな子供だということだ。この十五少年漂流記の冒頭では、子供ばかりが乗り込んでいた船がふとしたことで沖へ漂流してしまい、彼らが無人島にたどり着く。そうして少年たちによる生活が始まるのだが、彼らは話し合って自治を行おうとする。そこに大人の姿は描かれない。８歳から１４歳の子供たちが知恵を出し合ってうまく生活しようとするのである。これを読む小学生からすれば自分と同年代の少年たちの話なので、等身大の感情移入が出来る。そのうえこの作品は、子供だけで無人島にいることの不安と、大人たちから離れて子供だけで生活するというワクワクした感じを得ることが出来るのである。この不安とワクワクする気持ちは、物語を読む上でのサスペンスともなって小学生にページをたぐらせる。</p>

　<p>また１つは子供社会がうまく面白く描かれているという点だ。例えば彼らは投票して大統領を選んだり、狩りをしにいくメンバーや住居の修理をするメンバー、食事を作るメンバーに分かれたりしてうまく自治を行っていくのだが、その過程で自分の役割や他人の役割に不満を持つ者も出てくる。そのやっかみの気持ちというのが実に子供らしく、読んでいる小学生にもリアルに理解できる。自分がリーダーに選ばれなかったり、軽く扱われたりすることは、子供にとっては一大事だったりする。そういう自分が仲間内でこう扱われたら嫌だろうなとか、こういう気持ちもわかるなという場面がよく描かれている。もし無人島にいたら心細くて泣いてしまうだろうなと思ったり、いくらケンカをしていてもいざというときは助け合ったりするだろうな、自分もそうするだろうなという同調がこの作品にはある。こういった現実の自分が同調できる要素が作品内にあるというのは小学生にとって魅力的だ。そこいらのアニメで少年が魔王に立ち向かっていくよりは、よほどリアルに作品の世界や空気を理解できるのだ。そうやって作品世界に親しむ体験をすることが小学生に読書の喜びを覚えさせていくのだ。</p>

　<p>そしてなんといっても外せないのは最後の戦いのシーンだ。この物語は原則的に現実に即した姿で描かれている。子供たちの中には手先が得意だったり猟銃の扱いが上手かったり料理が得意だったりという特徴を持った子供がいるが、それはあくまでも子供として得意というくらいの実力であって、都合のいいほどに高い能力を持っているわけではない。そこをうまく知恵を使って協力し合って生活していく話である。
そんな彼らの前に敵が現れる。敵は子供たちより強い力を持っていて、まともに考えたらとてもかないそうにない。少年たちに同調している小学生にとっては、スリルのある展開だ。そこで戦っていく少年たちの姿がいい。自分たちを上回る恐ろしい存在に怯えながらも、勇気を振り絞って協力しながら立ち向かっていく少年たちは、地に足の着いた現実的な戦いを展開する。この場面が実にいい。現実感のある、そこらにいる子供でも手が届きそうな、でも読んでいる小学生にはおそらく怯えて出来ないような戦う姿が見られるのだ。本の中の少年たちは優れた能力もないし、卓越した何かを持っているわけではない。あくまで子供でもできそうな範囲のことをやるだけである。しかしそれを実際にやるのは難しいだろうと読んでいる小学生は思う。でももしかしたら、いや無理だろうな。そう思わせるようなぎりぎりの、子供なりの現実的な精一杯の勇気と行動力を振り絞って戦うのがこの物語のクライマックスなのだ。</p>
　<p>ファンタジーやＳＦらしい要素のないこの最後の展開に、小学生はのめりこむ。このような<strong>子供の現実</strong>に限りなく接近している物語というのは、小学生がよく触れるようなコンテンツに目だって見つけることは出来ない。それがために小学生は夢中になる。そして小学生は本の中に現実的な、それでいて新しい世界が広がっていることを身をもって体験することが出来るのだ。</p>

　<p>以上、十五少年漂流記について軽くつづってみた。小学生向けのような書き方をしたが、読んだことがないのなら大人が読んでも十分に面白い、傑作小説であると思っている。</p>

<a href="http://amazon.co.jp/o/ASIN/4061472844/chapoace1-22/ref=nosim" target="_blank"><img src="http://images.amazon.com/images/P/4061472844.09._PC_OU09_SCMZZZZZZZ_.jpg" alt=""></a><a name="more"></a>

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<title>創作初心者の心得、コツ</title>
<description> 何かを創り出したいと願う初心者が、必ず押さえておくべきポイントが２つあると思う。音楽だろうが小説だろうが、何かの方法論だろうが、自分が取り組もうとする分野において初心者だと自覚するならば押さえておくべきものがある。今から挙げるポイントは別に珍しいポイントではないし、何を当たり前のことをと思う人もいるだろうが、たくさんの「大事なポイント」が乱造されている現状で、この２つだけは真に重要だと確信できるものだ。 １つは模倣を心がけるということだ。小説を読んだことのない人間に小説を書...</description>
<dc:subject>創作</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-02-17T00:50:13+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p>何かを創り出したいと願う初心者が、必ず押さえておくべきポイントが２つあると思う。音楽だろうが小説だろうが、何かの方法論だろうが、自分が取り組もうとする分野において初心者だと自覚するならば押さえておくべきものがある。今から挙げるポイントは別に珍しいポイントではないし、何を当たり前のことをと思う人もいるだろうが、たくさんの「大事なポイント」が乱造されている現状で、この２つだけは真に重要だと確信できるものだ。</p>

　<p>１つは模倣を心がけるということだ。小説を読んだことのない人間に小説を書かせようとしても実現は困難だし、推理小説しか読んだことのない人間が恋愛小説を書こうとしてもちょっと厳しい。いくら素晴らしいロックンローラーでも、クラシックがどのようなものか知らなければ手のつけようがない。</p>
　<p>当たり前のことを言っていると思われるかもしれないが、これを忘れてしまう初心者が多いのは事実だ。新しいものを作ろうと意気込んでしまったり、とにかく取り組み始めればなんとかなると思ってしまう。これは海図ももたずに大海原に飛び出していくような行為だということを忘れてはいけない。もし初心者が何かを作ろうとしていたら模倣することをアドバイスすべきだし、自身でも新しい分野に挑戦しようと思ったら模倣を心がけることが大切だ。</p>

　<p>もう１つは優れたものの意図を計るということだ。適当に作られて人々の心を打った作品などそうはない。優れているもの、受け入れられたものには、それなりの理由があるのだ。逆に言えば作者はそれを意図して作品を作り上げている。これは受け手が意図を読み取ろうとしないと確認できない。ただそれに触れるだけでは、ああ面白かった、楽しかった、わかりやすかった、そんな感想だけで終わってしまう。だから懸命に、作品の中に意図を探していくことが必要だ。作者がどういう効果を狙ってどういう造りにしたのかを考えることだ。まずは自分の感情から探っていくといい。自分はどうして感動してしまったのか、どうして驚いてしまったのかを考えてみるといい。「もしこの部分がこう表現されていたら、決して感動はしなかっただろう」というような箇所が発見できたなら、そこは作者が意図をもってそう表現しなかった箇所なのだ。だから受け手である自分が感動することが出来たのだ。</p>
　<p>そして優れているものほどたくさんの素晴らしい意図が込められている。だから優れた作品にたくさん触れることは欠かせない。その中からたくさんの意図を汲み取っていくことで、その作品が何故成功したのかが見えてきて、その分野でどういうものを作っていくべきかという考えが自分の中に作られていくのだ。</p>

　<p>こういう視点から考えれば、初心者が模倣するべき作品は優れた古典が数個あればいいということになる。色々な本を乱読したり、勉強といってやたらと手を出すよりは、優れた古典の中から丁寧に意図を読み取っていく方がよほどいい訓練になると思っている。</p>
<a name="more"></a>

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]]></content:encoded>
</item>
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<title>ファイアーエムブレムの面白さを暗黒竜と光の剣と紋章の謎から考える</title>
<description> ファイアーエムブレムは麻薬のような面白さを持ったゲームだ。一度はまってしまうと容易に抜け出すことが出来ないくらいの魅力を持っている。ファイアーエムブレムにとって人ひとり徹夜に追い込むことなど造作もないし、日中も頭の中をゲーム一色にしてしまう力がある。今ではwiiやDSでも発売されているが、グラフィック的に大きく劣るSFC時代のシリーズ作品であっても、今のユーザーたちのプレイに耐えうると思う。ここでは「ファイアーエムブレム～暗黒竜と光の剣・紋章の謎」をとりあげてみる。 ファイ...</description>
<dc:subject>ゲーム</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-02-15T20:34:17+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p>ファイアーエムブレムは麻薬のような面白さを持ったゲームだ。一度はまってしまうと容易に抜け出すことが出来ないくらいの魅力を持っている。ファイアーエムブレムにとって人ひとり徹夜に追い込むことなど造作もないし、日中も頭の中をゲーム一色にしてしまう力がある。今ではwiiやDSでも発売されているが、グラフィック的に大きく劣るSFC時代のシリーズ作品であっても、今のユーザーたちのプレイに耐えうると思う。ここでは「ファイアーエムブレム～暗黒竜と光の剣・紋章の謎」をとりあげてみる。</p>

　<p>ファイアーエムブレムの面白さはどういうところにあるのだろうか。他の数あるシミュレーションゲームが霞むような、素晴らしい魅力を持ちえたのは何故なのか。その核心を考えてみると、やはり物語性というものに言及せざるを得ない。ファイアーエムブレムは物語性の極めて高いシミュレーションゲームである。</p>

　<p>通常、物語性の高いゲームというのはRPGを思い浮かべるのではないか。多彩なイベントが用意されており、美麗なグラフィックやサウンド、よく練られた大量のテキストが登場人物たちの心情を際立たせて、一つの物語をさながら映画のように織り上げていく。</p>
　<p>ファイアーエムブレムにはRPGのような豊富なイベントや美麗なグラフィック、サウンド、大量のテキストは存在しない。敵の出現や仲間の登場が主なイベントであり、グラフィックやサウンドもRPGに比べれば見劣りするものだ。登場人物たちはステージの初めと終わり、そして中盤に短く会話を交わす程度であり、ゲーム時間のほとんどは戦闘行動に費やされる。</p>
　<p>しかしながら、ファイアーエムブレムは物語性の高いゲームである。もっと詳しく言うのなら、プレイヤーの頭の中に濃厚な物語を織り上げさせる要素を十分に備えたゲームである。</p>

　<p>頭の中で作られる物語とは、簡単に言ってしまうと妄想である。コンテンツとして誰の目にも見えるものではなく、プレイヤーの頭の中にのみ存在する物語。しかしそういった妄想を馬鹿にしてはいけない。妄想というのはものすごい力がある。自分にとって都合のいい妄想というのは、信じがたいくらいの魅力があり、楽しいものなのだ。そしてその楽しい妄想をかきたててくれるのがこのファイアーエムブレムの素晴らしいところなのだ。</p>

　<p>例えばファイアーエムブレムシリーズの暗黒流と光の剣には、ジュリアンという盗賊とレナというシスターの仲間がいる。第三章で山賊団に囚われていたレナを、同じ山賊団のジュリアンが山賊仲間を裏切って助け出し、二人で逃亡を計るシーンではレナの足が遅く、慣れていない初回プレイでは追っ手の山賊たちに２人が追いつかれたりする。ここで守備力の低いレナをかばうために、機動力が高いジュリアンをあえてレナの後ろに続くように配置して攻撃を受けさせようとするのは、プレイヤーの攻略上の自然な選択だ。</p>
　<p>ところがプレイヤーたちはその直前に、ジュリアンがレナを山賊の砦から連れ出すデモを見ている。そこではジュリアンが裏切り者と呼ばれて仲間から追われることを承知のうえでレナを助け出したことがわかる。レナはジュリアンの身を案じてそんなことはよせと言うのだが、ジュリアンは男気からレナを救い出し、砦から逃げ出してくるのである。</p>
　<p>ここでレナをかばったジュリアンは、山賊たちの攻撃をかわしたり、あるいはダメージを受けて危機に陥ったりするのだが、この状況を俯瞰しているプレイヤーが一瞬でもジュリアンとレナの状況を具体的に頭に思い浮かべたら、それはファイアーエムブレム製作陣の思う壺である。</p>
　<p>逃げようと思えば足の速いジュリアンは逃げられる。しかしそれでは弱いレナが守れない。ジュリアンはあえてレナの後ろで山賊の攻撃に身をさらす。こういう戦いの最中の危機的なシチュエーションでジュリアンの心情とレナの心情に一瞬でも感情移入をしたり、物語を想像してしまうことは、そうありえないことではないはずだ。ジュリアンが攻撃をかわしたときにほっとしたり、ジュリアンの横をすり抜けてレナが攻撃を食らったときの「危ない」というプレイヤーの気持ち。それは単に戦略上必要なユニットが危機であるという「危ない」以上に、2人の人間が物語の中で背負っている「危ない」のように感じられるはずである。そういう感情を持ったうえで、自軍を動かし彼らを助けたとき、主人公のマルス王子と彼らの間に起こる会話を自然と想像するのは、なにもおかしな話ではない。</p>

　<p>自然とプレイヤーに物語を想起させる状況設定、キャラクター設定がファイアーエムブレムの素晴らしいところである。これがRPGであれば、まずはじめに山賊の砦のグラフィックと2人の登場シーンが描かれ、逃亡後も「おれが後ろについて攻撃からかばう」という意思表示が何かしらの形でジュリアンから見てとれるはずだ。また、周囲の様子や、山賊たちが具体的にどう2人に迫り、ジュリアンはレナをどう守ろうとするかも具体的に映像で示されるだろう。</p>
　<p>そこにはプレイヤーの妄想の自由がない。大切なのは<strong>プレイヤーが望む形で</strong>ジュリアンがレナをかばうことであり、ジュリアンがレナをかばったという事実が提示されるのは重要なことではない。そのような受動的な物語の受信現象は、プレイヤーが（戦略上自然な選択だとしても）自らジュリアンをレナの後方に配したのとは大違いである。大切なのはプレイヤーが妄想することである。想像力で物語の隙間を埋めて満足してプレイすることなのだ。</p>

　<p>「自分なりの物語」への想像力をかきたてる状況設定とキャラクター設定が素晴らしいと記したが、これらの要素を具体的に考えてみよう。</p>

　<p>状況設定という点では勧善懲悪とサスペンスのうまさが挙げられる。まず味方と敵対するユニットのほとんどは悪人である。細かなことを考えれば敵ユニットたちは自分の国に忠誠を誓っているだけな場合もあるが、彼らを率いる将軍クラスは悪人顔が多く、単純に主人公たちに襲いかかるだけではなく、配下に村々からの略奪を命じたり、善人に対し人質をとって操ったり、主人公の母を殺したりしている。彼らは「物語の進行上、排除されるべき障害」というだけではなく、プレイヤーに多少なりとも怒りを抱かせる存在である。この勧善懲悪という構図はプレイヤーに物語を抱かせやすい、優れた構図だ。</p>
　<p>例えば前述の例で、敵の山賊の中にジュリアンを攻撃することにためらいがある人間を混ぜてみよう。ジュリアンとレナの背負っていた「危機」に複雑な感情が混ざることになる。個々人の葛藤の中で、組織とは何かだとか、善とは何かなんていう要素が「物語」に侵入しはじめる。そのため主人公であるマルス王子がジュリアンとレナを助け出した際も、シンプルに「危機からの脱出」という快感が得られるはずだったのが、なんだか煮え切らない「物語」になってしまう。事態が複雑になると楽しい妄想を展開しづらくなる。その点、勧善懲悪というのはプレイヤーが幼いときから慣れ親しんでいる構図ということもあって、物語を楽しみやすい構図なのだ。</p>
　<p>また、各ステージにはほとんどの場合サスペンスが用意されている。例えば明らかに善人なのに敵対するユニットを敵の中に割って入って説得するだとか、無防備で牢に囚われて攻撃されている騎士団を救い出すとか、港で大軍団に包囲されてしまうとか、隊を４つに分けて城に侵入させるとか、そういう「物語」を脳内で製造するのにかっこうのシチュエーションが各ステージに用意されている。それらはジュリアンとレナの状況のように、各キャラクターの心情を想像させるに十分なものだ。</p>

　<p>キャラクター設定の上手さという事でいえば、性格の露出が少ないということと、カッコイイということが挙げられる。キャラクターのほとんどは仲間になる際に少し喋るだけで、あとは喋る機会があまりない（戦死のときに喋るが）。これはデメリットではなく、妄想が武器のこのゲームにとってはメリットである。製作者側に作られた「物語」などより、プレイヤーが望む形での物語の方がはるかに楽しいのだから、キャラクターの性格が推し量れる情報が多すぎてはいけない。それは製作者側の情報なのである。最低限の情報（喋り方、容貌、身分）を提示して後はプレイヤーに任せたことは、「物語」を妄想させるゲームにとって大きな成功の要因だ。これが前述の状況設定の上手さとあいまって、「物語」の妄想を誘発しやすくしている。キャラについてのある情報をプレイヤーに与えるという行為は、そのキャラの周辺情報を規定するということであり、プレイヤーにとって「妄想」の余地が減るありがたくない行為なのである。</p>
　<p>またファイアーエムブレムに登場するキャラクターは一目見てカッコイイ。敵キャラこそ悪人顔が多いが、味方のキャラのほとんどは美形でカッコイイ顔をしている。さらには貴族だったり有名な剣闘士だったり竜族の姫だったりする。あまり言及されないことだが、カッコイイというのはとても大切なことだ。特にこのような性格の露出が少なく、想像で補うしかないゲームではキャラクターがどういう存在であるかを初期にざっくりと把握させる上で、ある程度の外見と役職の規定は必須である。プレイヤーが物語を妄想するためには、（危険をかえりみずにシスターを助け出した）盗賊ジュリアン、というようにざっくりとした「どういう存在か」という情報が必要であるが、その情報はあまりカッコ悪くてはいけない。何故なら、プレイヤーの妄想をサポートするために、キャラクターがどういう存在かを操作するのは極力避けなければならないからだ。例えば、名もなく弱い一般兵が実は伝説の傭兵の血を引いており、レベルアップの度におそろしく強くなっていくという設定は、このゲームの魅力である性格露出の少なさ（製作陣によるキャラ規定の少なさ）と相反してしまうため、実現が難しいのである。そのキャラクターがどういう存在かを物語中で変化させてしまうのは、プレイヤーの妄想に沿わない方向へ「物語」を逸らせるリスクがある。もちろんこの例のようなストーリーは実現不可能ではないが、妄想の保護とシナリオ上の制約から、多くのキャラクターに用意するわけにはいかない。そして、ストーリーの途中でカッコイイ存在に変化できないほとんどのキャラクターは、亡国の王弟だったり、姫の付き添いの護衛だったりと、短いがはっきりとしたちょっとカッコイイ、どういう存在かという名札をもって登場することになるのだ。これによって、最終章で巨悪を追い詰めた自軍がブ男だらけだったり、一般庶民あがりばかりということはなくなり、プレイヤーが妄想する「物語」自体もカッコよさを帯びるのである。</p>

　<p>他にも妄想を誘う要素はある。ゲームの難易度が絶妙なこともその一つで、攻略に当たってプレイヤーは好きなように自軍の進撃を作り上げることが出来る。難しすぎず簡単すぎず、どんなやり方であっても手ごたえと快感を得られる。例えば育成キャラが偏って後半苦しくなることを承知のうえでなら、お気に入りのキャラをとことん強くして敵をなぎ倒させたり出来るし、味方の犠牲をも厭わないのならば全軍突撃で派手な白兵戦を楽しむことが出来る。犠牲を少なく攻略して戦略的な快感を得ることも出来るし、ほとんどのマップで全局面的に都合のいい物語を妄想できる、そのくらい絶妙な難易度である。</p>
　<p>また、闘技場を用意することで攻略上の制約から離れてお気に入りキャラクターを育成できたり、能力アップの希少アイテムを使用することでキャラを強くしたりすることで、思い通りの物語を妄想できる可能性を広げた点もあげられる。</p>

　<p>そのくらいは他のゲームもやっているという意見もあるだろう。そこで、ファイアーエムブレムの一番の特徴に言及しなければならない。それは「キャラクターが死亡するシステム」＋「ステージ途中のセーブがないシステム」である。</p>

　<p>戦闘によって失われた味方キャラクターは死亡したとみなされ、次のステージからは登場しなくなる。ゲームオーバーの条件は主人公が戦死することだけだから、たとえ味方キャラクターがいくら死亡していっても、主人公さえ生きていれば物語は進む。この戦死から逃れられるのは味方キャラクターのごく一部でしかなく（人数制限つきで救済措置を受けられる）、ほとんどの味方キャラクターにとって敗北＝死である。</p>

　<p>この死のルールを採用することで、プレイヤーはキャラクター達を大切に運用するようになる。まず戦略上の要請から、プレイヤーはキャラクターたちの死を嫌うだろう。さらに、ベストエンディングや敵キャラの説得など、プレイヤーにキャラクターを死なせないようにさせる要素は置かれていることも後押しし、プレイヤーはキャラクターを極力保護しにかかる。そうした時に敵が押し寄せる。キャラクターが危機に瀕する。死にそうになる。ここで死んでもらっては困る。何故なら「途中でセーブが出来ないシステム」によって、またステージの初めからプレイせざるを得なくなり、それまでの努力が無駄になってしまうからだ。ステージの終盤になるほどリスクは高まり、そういった危機感はそのまま物語を妄想させる要因となる。ステージ終盤、次の一撃で死亡してしまうキャラクターが狙われ、しかし敵の攻撃をかわしたときなどは冗談ではなくガッツポーズが出る。どきどきした後に嬉しくなる、感情が動く。感情が動くということは思い入れが生まれるということだ。思いいれは妄想の下地になる。</p>

　<p>「死」が要素として加わることで、ゲーム内の展開はより劇的になる。一つ一つの戦闘が、命の削りあいのようにプレイヤーに迫ってくる。「物語」は現実性を帯びてドラマティックになる。自分の妄想の「物語」が痺れるくらい面白くなってくる。</p>

　<p>ファイアーエムブレムは名作ＲＰＧのような、どんどん先に進みたいだとか、ストーリーの展開が面白いというゲームではない。それよりも、プレイヤーがリアルタイムで想像する「物語」に楽しみを見出せるゲームである。</p>

　<p>このようにプレイヤーに「妄想」をさせることでとてつもない面白さを生み出すことが出来るということは覚えておくべきことだ。確かに製作する側からすればそれは不満なことかもしれない。しかし一本道のしっかりとした物語が用意され、美麗なCGグラフィックで「どのように」という様子が十分にフォローされたビッグタイトルに対して、昔の方が面白かったという評価が与えられるのは、進化した要素がかえって「想像力の制限」となってしまっていると推察できる。プレイヤーは「（いいとされるものを）与えられること」を必ずしも喜ぶわけではないのだ。</p>

<p>（文章ではやはり伝わりづらいので、これを読んだ人には是非ファイアーエムブレム～暗黒竜と光の剣・紋章の謎をプレイしてみて欲しい。最近のゲームしかやっていない人なら、きっと新しい快感を得られるはずだ）</p>

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<title>ジャック・ブラックの映画が教えたこと</title>
<description> 彼は俳優の演技に興味がなかった。 彼が好きなのは物語だった。小説もマンガもアニメもドラマも映画も好きだったが、目を向けていたのは文章の美しさでも絵の上手さでも演技力でもなく、物語だけだった。 彼は設定の奇抜さや展開の妙、見事な伏線やクライマックスのカタルシスに心奪われていた。登場人物たちの心理や、事件によって昇華されていく心の動き、それに同期したときに自分の中に生まれる心地よい爽快感、感動が好きだった。 彼が注目しているのは物語だった。「どのような話か」というのが第一に重要...</description>
<dc:subject>映画</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-02-12T20:51:25+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p>彼は俳優の演技に興味がなかった。</p>
　<p>彼が好きなのは物語だった。小説もマンガもアニメもドラマも映画も好きだったが、目を向けていたのは文章の美しさでも絵の上手さでも演技力でもなく、物語だけだった。</p>

　<p>彼は設定の奇抜さや展開の妙、見事な伏線やクライマックスのカタルシスに心奪われていた。登場人物たちの心理や、事件によって昇華されていく心の動き、それに同期したときに自分の中に生まれる心地よい爽快感、感動が好きだった。</p>

　<p>彼が注目しているのは物語だった。「どのような話か」というのが第一に重要な点だった。</p>
　<p>俳優の演技には興味がなかった。それは一見難しそうで、奥が深そうで、それでいて誰がやっても大して変わりはなさそうに思えた。根拠もなくそう思っていた。配役なんてそれっぽい顔のそれっぽいイメージの役者を当てはめればいいだろうと、浅はかにも思っていた。</p>

　<p>彼からすれば「物語」自体が面白かったため、その他の要素に興味がなかったのだ。そんなものに目を向けなくても、「物語」はそのままで十分に面白いのだから問題ないという気持ちだった。</p>

　<p>ところが、彼は演技というものに興味をもつ機会に恵まれた。恵まれたというより、否応なく興味を持たされてしまったといった方が正しい。それくらい強烈に、今まで興味のなかった「演技」というものが彼の目の前に現れたのだ。</p>

　<p>機会を与えてくれたのは「School of Rock」という映画だった。レンタルビデオ店に行った際、「天使にラブソングを」のような映画だとどこかで紹介されていたのを覚えていたため、借りてみることにした。彼はそういう映画が好きだったのだ。</p>

　<p>結論から言うと「School of Rock」は「天使にラブソングを」よりも数段面白い映画だった。少なくとも彼にはそう感じられた。借りてきたDVDを何度も見返すのは本当に久しぶりのことだった。</p>

　<p>「物語」の形としては「天使にラブソングを」とそれほど変わらないのに、どうしてこの映画は面白いのだろうと彼はふと考えた。そして大して考えることもなく、彼は正解にたどり着いた。彼にってそれは明らかなことだった。もっとも画面によく映る、型破りな主演の男に彼は引き寄せられていた。主演の男の面白さが、この映画を彼にとって素晴らしく面白いものにしていた。</p>

　<p>その映画の主人公の名前はデューイ・フィンといった。映画の中でデューイ・フィンは暴れまわっていた。音楽を愛するあまり暴走しがちなバンドマンが金に困り、教師に成りすまして小学校にもぐりこみ、子供だけのバンドを率いて賞金目当てにバンドバトルに出場する物語。その過程でデューイ・フィンは、観客ダイブに失敗して気絶したり、バンドメンバーにクビを通告されたり、居候の分際で親友の彼女にキレたり、友達の名を騙ったり、小学生の女の子のパンを奪ったり、とにかく常識にかからない。</p>

　<p>それでいて音楽については並外れた情熱を持っている。それはデューイ・フィンが音楽に関する何かを語っているときや、実際に演奏しているときの様子ではっきりとわかる。デューイ・フィンの子供たちへの指導はとても熱心で誠実だ。</p>

　<p>彼はそういう姿を見てデューイ・フィンという人間が好きになる。しかし重大な事柄がある。デューイ・フィンは「ジャック・ブラック」という俳優が演技をしている姿だということだ。デューイ・フィンは映画の中で「ジャック・ブラック」というバンドマンを演じているに過ぎない。ディスプレイの中の男は本当は「ジャック・ブラック」であり、あれは演技なのだ。</p>

　<p>しかし彼にはそれがちょっと不思議に思える。理屈の上では納得できるし、わかっているのだが、なんだか不思議な気分になる。本当に映画の中のデューイ・フィンのような人間が現実にいるはずだと思ってしまう。そんなわけないと理屈ではわかっていても、そんな気がしてしまうのだから仕方がない。そしてそれは演じている「ジャック・ブラック」本人なのではないのだろうか。彼はそんなことすら考える。「ジャック・ブラック」＝デューイ・フィンのように彼は錯覚する。「ジャック・ブラック」という現実の人間は、デューイ・フィンのような型破りで情熱的な人間なのではないだろうかと彼は思う。そうでなければ何となく辻褄が合わない気がする。そんな気がしてしまうのだ。</p>

　<p>彼は自分が映画の中のデューイ・フィンのような人間が本当にいてほしいと望んでいるのだと分析する。もし本当にいたらどんなに素晴らしいだろう、と思うようになっている自分を発見する。彼は夢想家ではなかったし、現実と虚構の区別くらいはできたのだ。</p>
　<p>彼は映画の中のデューイ・フィンではなく、その向こうに実際にいる「ジャック・ブラック」に興味を持ち始める。インターネットで経歴を見て、彼がどんな人間かを知ろうとする。DVDも購入し、特典映像からこのSchool of Rockという映画をどのような気持ちで撮っただとか、そういう情報も吸収する。</p>

　<p>そうした後にもう一度この映画を見てみると、いっそう面白く見ることが出来る。現実に存在する「ジャック・ブラック」という人間が、このデューイ・フィンという人間になりきっている姿は、彼にとって考えたことのない方向からの新鮮な衝撃を与える。彼は自分だったらどうだろうかと考える。こんな風に迫真の、実にリアルなデューイ・フィンを表現できるかと想像する。まったく真実味あふれるデューイ・フィンの姿に、その向こう側にいる俳優「ジャック・ブラック」の姿に彼は目を見張る。彼は「演技」というものの素晴らしさ、奥深さに触れた気がする。</p>

　<p>そして、彼は演技とはどういうものかに興味をもつようになる。登場人物の背後にいる現実の演者に思いをはせることが出来るようになる。それは新しい発見だ。今まで触れていた映画というものの。新たな見方を発見できたのだ。それは実感を伴ったものだ。今までなら誰かに俳優の演技がどうこう言われても興味を示さなかった彼は、俳優の演技に注意深くなる。そうして演技というものに本当に細かな意図が込められていることに気づき、面白くてたまらなくなる。「物語」の意匠のみに注目していた彼は、俳優の巧拙などがドラマや映画に深刻な影響を与えることを実感できるようになる。</p>

　<p>このように、素晴らしいものや感動できるものに触れることで、人は興味や関心をもてる。心の底からもてる。それについて知るだけで満足で、知ろうとするだけで面白い。それの背後に大きな世界があることを理解するだけで、面白さの種がまだまだたくさんあるとわかる。
　対象のものが真に素晴らしいと世間から評価されているかは関係ない。彼が本当に感激し、「デューイ・フィン」にほれ込み、ジャック・ブラックに興味をもったことが肝心なのだ。心の底から感心できる、興味を持てる、そういう性質を持つ限り、人間の前には次々と新しい世界が開けてくるものなのだ。</p>

　<p>そういう考えからいえば、物事に「なんだ、こんなもの」という評価を与えることは、自分を殺すことを意味するとわかるだろう。そうする人間は自分の世界を広げることが出来ない。そう、その人は「物語」のみ追い続けるハメになるのだ。</p>

　<p><a href="http://www.schoolofrockmovie.com/" target="_blank">スクールオブロック公式サイト</a></p>
　<p><a href="http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/typs/id61374/" target="_blank">ジャック・ブラック（yahoo!映画）</a></p>
　<p><a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm857517" target="_blank">ニコニコ動画でスクールオブロックを見る</a></p>
　<p><a href="http://amazon.co.jp/o/ASIN/B000EULV9K/chapoace1-22/ref=nosim"><img src="http://images.amazon.com/images/P/B000EULV9K.09._PC_OU09_SCMZZZZZZZ_.jpg" alt=""></a></p><a name="more"></a>

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<title>バスケットボールの上達方法を知る前に</title>
<description> 競技の実力の向上を目的とした方法論は実に多様で、指導者が千人いれば千通りの方法論がある。後進である選手たちにとって、それらの方法論は実に有用なアドバイスとなるし、競技についての思考や判断のよりどころとなるものだ。選手たちは方法論をよく聞き取って自分の血肉にしようとするが、大半の方法論には大事な部分が抜けている。抜けているがために彼らの前に立ちふさがる致命的な問題に対処できない可能性がある。それは人生に関する部分だ。 ほとんどの方法論が語るのは「競技に関する方法論」だ。 シュ...</description>
<dc:subject>.バスケットボール</dc:subject>
<dc:creator>fly-low</dc:creator>
<dc:date>2009-02-08T01:20:27+09:00</dc:date>
<content:encoded><![CDATA[
　<p>競技の実力の向上を目的とした方法論は実に多様で、指導者が千人いれば千通りの方法論がある。後進である選手たちにとって、それらの方法論は実に有用なアドバイスとなるし、競技についての思考や判断のよりどころとなるものだ。選手たちは方法論をよく聞き取って自分の血肉にしようとするが、大半の方法論には大事な部分が抜けている。抜けているがために彼らの前に立ちふさがる致命的な問題に対処できない可能性がある。それは人生に関する部分だ。</p>

　<p>ほとんどの方法論が語るのは「競技に関する方法論」だ。</p>
　<p>シュートの打ち方などの個人スキルや、チームとしての戦術が技術的な方法論。集中力を高める方法や、常に全力を出すことの意義を説くことなどが、精神的な方法論。
　指導者や書籍によるほとんどの方法論の中身は、このような競技に直接的に作用する部分に関してである。</p>

　<p>そこには「人生」についての部分がない。バスケットボールと人生は切り離せるものではない。バスケットボールは人生の一部分なのである。にも関わらず多くのバスケットの方法論に人生についての記述がないのは、その中に熱心にヒントを求める読む選手にとって決定的な問題になりかねない。この欠点があまり知られていないのは選手にとって不幸なことであると思う。</p>

　<p>方法論はあくまでバスケットの方法論であり、人生観にまで触れる必要はないと主張する人間もいるだろう。それらは全く別の問題であるというスタンス、もしくは他人に生き方にまで口出しすることはないというスタンスなわけだ。そんなことは各自が勝手に考えればいいというわけである。</p>
　<p>しかしこの考えはおかしい。バスケットボールを自分の人生の中でどのように位置づけていくかという問題が、実力の向上と無関係なわけがない。両者は別のものではない。バスケットは人生の一部分なのだ。</p>

　<p>例えばとても若く情熱的な選手がいたとする。彼には意欲があり、たくさんの方法論を学んでいく勤勉さがあり、実際の練習に臨んでも努力を惜しまない選手だとする。</p>
　<p>彼は当然にうまくなっていく。レギュラーを勝ち取り、経験を積み、自分のプレイが通用することを知って自信を深めていく。事実、彼はたくさんのことを知っている。シュートやパスの際の細かなボールの持ち方やスクリーンのかけ方、使い方、チームとしてのゾーンに対する対応、巧みな合わせのプレイ……。それらは同年代の選手の誰と比べても劣らないほどだ。<p>

　<p>しかし誰もが知っているように、成功続きの順風満帆な競技生活をおくる人間など滅多にいない。彼の前にも問題が起こる。</p>
　<p>例えば彼は自分のバスケット観と間逆の監督に指導を受ける。彼の方針とまったく相容れないチーム作りをする監督に、彼は納得できない。彼はチームのバスケットに順応できず、やがて試合で使われなくなっていく。彼はベンチで自分と同程度、もしくは劣る実力の選手がゲームに出ているのを見ることになる。</p>
　<p>また、彼のそばには問題のある選手がいる。その選手は一人暮らしをしており、バイトをしなければ生活できないといって部活には半分ほどしか顔を出さない。しかしその選手のポジションの選手はチームには少数で、チームが勝つためにはその選手の上達も欠かせない要素だ。そして彼にはその選手がそこまで困窮していないように思える。その選手は遊びにいったり服を買ったりしており、バイトをしなければ生きていけないというようには見えない。次第に彼はその選手にいらいらし始める。その選手に努力を求めるようになり、欲求不満になる。</p>
　<p>また、彼は大事な大会の前に大きな怪我をしたりする。それは選手生命を左右しかねない大きなケガで、もし治ったとしても完治はしないと言われてしまう。彼は今までの努力が一気にふいになった気がして落ち込む。</p>
　<p>他にも、彼の前には進学だとか就職だとかいう悩みが立ちはだかる。彼はこのまま自分はバスケットを続けていていいのかと悩む。他の事にも打ち込むべきなのではないかと悩むのだ。</p>

　<p>これらの問題が彼のバスケ選手としての実力の向上を阻むことは明らかだ。しかし、彼が今まで学んできた方法論を見返しても、これらの問題を解決してくれる箇所は見当たらない。そういう思考や思想的な部分は、バスケットの方法論はフォローしてくれていないのだ。結果、彼は様々な問題を克服するのにとてもエネルギーを消費する。</p>

　<p>このような障害には誰もがぶち当たるものだし、それを乗り越えることで選手が成長するという意見はある程度認められようが、彼が必ずしもたった一人でその問題に取り組む必要はない。むしろその場合、間違った解答を導き出したり、障害の前に打ちのめされたりする可能性もある。</p>
　<p>彼の前にほんの少しでも問題解決のためのヒントをおいたり、道を指し示したりすれば、彼が障害を乗り越える可能性はぐっと高くなる。それはバスケットの方法論には書いていない、どう生きていくかということについての言葉だ。人生についての言葉だ。</p>
　<p>その言葉を聴いた結果、彼は問題にとらわれず今までのようにいきいきとバスケットに取り組めるようになる。逆に、そういった言葉と出会わなかったために障害を乗り越えることが出来ず、苦しみながら諦めながら競技生活を終えてしまう選手もいることは事実だ。</p>
　
　<p>優れた指導者はバスケットのみを指導するのではない。選手たちにとってバスケットがどういうものであるのか、選手たちの人生においてバスケットがどういう価値をもち、どのようにバスケットと関わっていくべきかと言う点にも言及し、方針を示す。そこにはバスケットだけではなく、人生についてのビジョン、思想がある。そのビジョンをバックグラウンドにし、競技自体の方法論を展開することで、選手一人ひとりが色々な問題にとらわれることなくバスケットに取り組めるようになる。結果として実力が向上していく。</p>
　
　<p>同じチームの人間とどう関わっていくべきか、バスケットが楽しくなくなったときにどうするべきか。そういう問題の答えはバスケットの方法論に書いているものではない。しかしこれらはバスケットをやっていくうえで、いつでも直面する可能性のある問題である。これらについての思想を持つことは、選手にとって大きなメリットになるのだ。上達を求める選手は競技についての知識だけではなく、人生についての思想を持つべきだ。</p>

<p>（この問題についての解決方法は、またいずれ書こうと思う。また、この話はバスケットだけではなく、他の様々な分野についても言えることだ）</p>　<a name="more"></a>

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